【夏の甲子園2026】松﨑遥大(横浜)はどんな選手?出身中学・戸塚リトルシニア時代を調査
2026年夏の横浜高校で、
背番号20をつけているのが、
松﨑遥大(まつざき・はると)選手。
3年生の外野手です。
身長172cm、体重74kg。
右投左打。
横浜高校では、
外野手としてだけでなく、
三塁コーチャーとしてチームを支える場面もあります。
中学時代は、
戸塚リトルシニアでプレー。
当時から、
重要な場面で勝負強さを見せていました。
2026年春のセンバツに続き、
最後の夏も背番号20で甲子園メンバー入り。
今回は、
「松﨑遥大の出身中学は?」
「戸塚リトルシニア時代は?」
「中学時代のサヨナラ打とは?」
「なぜ三塁コーチャーを務めている?」
「2026年夏の役割は?」
などをまとめます。
目次
松﨑遥大のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 松﨑遥大(まつざき はると) |
| 高校 | 横浜高校 |
| 学年 | 3年 |
| ポジション | 外野手 |
| 投打 | 右投左打 |
| 身長 | 172cm |
| 体重 | 74kg |
| 出身中学 | 横浜市立秋葉中学校 |
| 中学所属 | 戸塚リトルシニア |
| 2026年春センバツ | 背番号20 |
| 2026年夏甲子園 | 背番号20 |
松﨑選手は、
右投左打の外野手。
身長172cmと、
高校野球選手の中では、
特別大柄なタイプではありません。
それでも、
強豪・横浜でベンチ入りを続け、
チームの中で自分の役割をつかんできました。
出身中学は横浜市立秋葉中学校
松﨑選手の出身中学は、
神奈川県横浜市の
横浜市立秋葉中学校。
中学時代は、
学校の軟式野球部ではなく、
硬式野球チームの
戸塚リトルシニア
でプレーしていました。
地元・横浜で野球を続け、
高校も横浜高校へ進んでいます。
中学時代は戸塚リトルシニア
松﨑選手は、
中学時代、
戸塚リトルシニアに所属。
早い時期から、
全国大会につながる大きな試合を経験しています。
特に印象的なのが、
中学1年から2年へ上がる時期に行われた、
全国選抜大会につながる関東大会です。
関東大会でサヨナラ打
2022年の関東大会。
戸塚リトルシニアは、
全国大会出場を目指して戦っていました。
2回戦では、
行田リトルシニアと対戦。
試合は1対1のまま、
7回を終了。
タイブレークに入りました。
そして8回裏。
打席に入ったのが、
松﨑選手でした。
松﨑選手は、
センター前へヒット。
これが、
試合を決める
サヨナラ安打
となりました。
新2年生で大一番を経験
当時の松﨑選手は、
まだ新2年生。
上級生もいるチームで、
全国大会出場がかかった試合の重要な場面を経験しています。
しかも、
タイブレークという緊張感のある状況で、
勝利につながるヒット。
この一打でチームは勝ち上がり、
全国大会への切符をつかみました。
中学生のころから、
大きな舞台につながる試合を経験していたことが分かります。
全国大会も経験
関東大会を勝ち上がった戸塚リトルシニアは、
全国選抜野球大会へ出場。
松﨑選手も、
全国大会を経験しました。
中学生の段階で、
関東大会、
全国大会という舞台を経験。
高校で強豪校のメンバー争いを戦ううえでも、
こうした経験は大きかったのではないでしょうか。
2024年に横浜高校へ
中学卒業後、
松﨑選手は、
2024年に横浜高校へ進学しました。
横浜の外野には、
毎年のように実力のある選手がそろいます。
レギュラーになるだけでなく、
ベンチ入りすること自体が簡単ではありません。
松﨑選手も、
その競争の中で、
少しずつチーム内での役割を広げていきました。
2年秋は背番号25
2025年秋。
松﨑選手は、
関東大会メンバーに入りました。
当時の背番号は、
25。
20人よりも多くの選手が登録できる秋の公式戦で、
メンバーに入り、
経験を積みました。
この時期には、
三塁コーチャーとしてグラウンドに立つ姿も見られています。
三塁コーチャーという重要な役割
三塁コーチャーは、
単に三塁ベース付近に立っているだけではありません。
打球の方向、
外野手の位置、
走者のスピード、
相手守備の送球などを瞬時に判断し、
走者を本塁へ回すのか、
三塁で止めるのかを決めます。
一つの判断が、
得点につながることもあれば、
アウトにつながることもあります。
特に、
1点の重みが大きい高校野球では、
非常に重要な役割です。
判断力でチームを支える
松﨑選手は、
横浜で、
この三塁コーチャーを任されています。
強豪校では、
グラウンドにいる選手だけでなく、
ベンチ入りした全員に役割があります。
レギュラーとして打席に立つことだけが、
チームへの貢献ではありません。
走者を動かし、
得点につなげる三塁コーチャーも、
勝敗に関わる存在です。
松﨑選手にとって、
高校野球で磨いてきた大きな武器の一つといえそうです。
3年春はセンバツメンバー入り
3年生となった2026年春。
松﨑選手は、
センバツのメンバーに入りました。
背番号は、
20。
高校最後の学年で、
甲子園のベンチ入りをつかみました。
試合に出場する選手だけでなく、
三塁コーチャーなどを含め、
ベンチ入り20人全員で戦うのが高校野球。
松﨑選手も、
自分に与えられた役割を担いました。
春季関東大会では外野守備へ
2026年春の関東大会でも、
松﨑選手はメンバー入り。
国士舘戦では、
試合終盤の7回から
右翼の守備
に入りました。
横浜はこの試合を、
9対1で勝利。
三塁コーチャーだけでなく、
必要になれば外野の守備にも入る。
ベンチにとって、
こうした選手の存在は貴重です。
外野手としての役割も
松﨑選手の本来のポジションは、
外野手。
右投左打で、
守備から途中出場するケースもあります。
終盤に守備へ入る選手には、
ミスをしない安定感が求められます。
特に、
甲子園や関東大会のような大舞台では、
途中から試合に入る難しさがあります。
ベンチから試合の流れを見ながら、
突然出番が来ても準備しなければなりません。
松﨑選手は、
そうした役割を担う選手の一人です。
2026年夏も背番号20
そして、
高校最後の夏。
松﨑選手は、
2026年夏の神奈川県大会でも
背番号20
を獲得しました。
春のセンバツに続き、
夏も20人のメンバーに入りました。
3年間の集大成となる夏。
レギュラーだけでなく、
ベンチから試合を動かす選手の存在も重要になります。
2026年夏の甲子園メンバー入り
神奈川県大会を勝ち抜いた横浜は、
夏の甲子園へ。
松﨑選手も、
背番号20のまま、
甲子園メンバー入りしました。
3年春のセンバツ、
そして3年夏の甲子園。
高校最後の1年間で、
春夏の甲子園メンバーに入ったことになります。
簡単に得られる経験ではありません。
松﨑遥大の強みは?
松﨑選手を考えるうえで、
注目したいのは、
目立つ数字だけではありません。
中学時代には、
全国大会出場をかけた試合でサヨナラ打。
高校では、
激しいメンバー争いを勝ち抜き、
三塁コーチャーや外野守備など、
複数の役割を担ってきました。
試合に出ていない時間も、
勝つために何ができるのか。
そこを積み重ねてきた選手といえそうです。
背番号20が試合を動かす?
高校野球では、
背番号1から9だけが主役とは限りません。
代走、
守備固め、
代打、
三塁コーチャー。
試合終盤になるほど、
ベンチメンバーの働きが、
勝敗を左右することがあります。
松﨑選手も、
途中出場から外野を守る可能性があります。
そして、
三塁コーチャーとして、
走者を本塁へ送り込む場面もあります。
接戦になればなるほど、
背番号20の判断が、
大きな意味を持つかもしれません。
最後の夏に注目
松﨑選手にとって、
2026年夏は高校野球最後の大会。
横浜には、
全国でも注目される選手が数多くいます。
その中で、
松﨑選手のように、
自分の役割を積み重ねてきた3年生も、
チームを支えています。
打席に立つのか。
守備から出場するのか。
三塁コーチャーとして、
得点を生み出すのか。
最後の夏、
どのような形でチームに貢献するのか注目です。
まとめ
今回は、
横浜高校の
松﨑遥大選手
について紹介しました。
出身中学は、
横浜市立秋葉中学校。
中学時代は、
戸塚リトルシニアでプレーしました。
2022年の関東大会では、
タイブレークでセンター前へサヨナラ安打。
チームの全国大会出場につながる、
大きな一打を放っています。
2024年に横浜高校へ進学。
外野手としてプレーしながら、
三塁コーチャーとしてもチームを支えてきました。
2026年春のセンバツでは背番号20。
春季関東大会では、
国士舘戦で右翼の守備にも入りました。
そして最後の夏も、
背番号20で甲子園メンバー入り。
スタメンだけではなく、
ベンチを含めた全員で勝利を目指す高校野球。
松﨑遥大選手が、
最後の夏にどのような役割を果たすのか注目です。





